1. 女性手帳ではなく男性手帳が必要ではないか?

コラム:男性手帳が必要ではないか?

「女性手帳」ではなく、「男性手帳」が必要なのではないか?という話です(「男性用の手帳」ではなく)。

いつぞや政府の政策で「女性手帳」という構想が持ち上がり、ほうぼうからの批判でとん挫したことがありましたね。そういえばそのときに思ったのですが、女性は男性よりも十二分に人生について手堅く考えている人が多い気がしており、男性のほうが全然考えてない気がするので(自身をふり返っても)、むしろ手帳が必要なのは男性のほうなのではないか?と。
社会に出るとわかることとして、

  • 結婚や子育て、住宅、教育にはかなりの金額が必要であり、もはや平均的な年収では賄えない
  • 人生いろいろとはいうけれど、ベースラインとしての安定した生活を送ることは結構大変
  • 働きだすと女性ふくめ新しい交友関係の出会いが仕事以外では全然なくなり、どんどん凝り固まっていく
  • 結婚まではよいが(最近は結婚までも難しいが)、そこから何十年もうまくやっていくのはかなり大変
  • 子育てに関して父親目線の情報があまりない
  • これから人口減少して経済も縮小していくかもしれないのに、社会の仕組みは昭和のイケイケドンドンのままなので各所でゆがみが多発している

などなど。
こうした予備知識が事前の準備があまりないまま、若いからと気合と根性を期待されて社会に放り出され、なんとか生き延びろ!という、すごく無理やりな設計になっていると思うのです。この社会は。

男女平等、雇用機会均等、ダイバーシティなど女性の社会進出がスローガン的には進んできましたが、とはいえ実態としては男が一家の大黒柱であるケースが圧倒的多数であるという状況は当面変わらないと思うのです。
時代が1億総中流で、社会の流れに乗っていれば自然と大黒柱になれた時代は過去の話であり、自ら情報やチャンスをつかみ取って妻子の分までしっかり稼いでいかねばならず、そして家庭も安定に運営していかなければならないわけですが、にもかかわらず「社会に出たら、あとは気合と根性で各自で頑張ってね!」というのはちょっと無謀すぎやしないかと。

結果として経済的に困窮する人が増えたり、社会からはじかれる人が増えたり、勝ち組負け組なんて言葉とともに格差が拡大している現状を鑑みるに、やはり「社会経済環境は大きく変わったが、装備はそのまま」という設計が1つの原因なのだと思います。
そうすると、社会経済環境のほうはすぐには変えられないので、装備は更新したほうがよく、その意味で「男性手帳」が必要なのではないかと思います。

コメント

Translate »
タイトルとURLをコピーしました